

●水引の語源いろいろ
川辺に波打つ、美しい水の流れ説
十間の張り詰めた紅白の「水引はざ場」の姿は、加茂川に波打つ美しい流れのようであることから、「水引」という。
贈答相手から心(水)を引く贈り物説
贈り物の装飾品として、掛けたり結んだりする水引は、相手の心を送り主へ「引く」ことになるからであるともいわれている。
※語源には、これという定説はありません。
●飯田水引
人を結ぶ、心を結ぶ。
南北に延びる長野県の南、天竜川をはさんで、南アルプスと中央アルプスに抱かれた伊那谷の中央に位置する城下町〝飯田〟。アルプスからの清流は、段丘を刻んで果物がたわわに実る肥沃な土を育み、あふれる緑は折々の色彩をまとって豊かな表情を見せています。
こうした風土の利を生かし、飯田は古くから水引のふるさととしての伝統を受け継いできました。
人と人、心と心を結ぶ水引。
和紙が織りなす雅で繊細な技は、忘れかけた日本の心そのものかもしれません。
小野妹子の時代から。
今でこそ様々な祝儀や結納飾りなど、「ハレ」の日を演出する小道具として欠かせない水引ですが、その起源は遥か飛鳥時代にさかのぼります。小野妹子が遣隋使の任務を終えて帰朝した時のこと、隋の答礼使が携えてきた贈り物に、海路の平安無事を祈って紅白の麻紐が結ばれていました。
以来、宮中への献上品はみな紅白の麻紐で結ぶ習慣になり、これが水引の原型といわれています。当時この麻紐は「クレナイ」と呼ばれ、実際「水引」と呼ばれるようになったのは、平安時代に入ってからのことでした。和歌を愉しむ平安貴族たちは、クレナイを青や黄や紫に染めては詩歌集の綴じ糸に使っていたといいます。その美しさが鴨川を百花が水に引かれて流れていくようだったところから、「水引」と呼ばれるようになったとも伝えられています。
麻紐だった水引が現在のような和歌に変わったのは、室町時代以降から。さらに水引が庶民の生活に浸透し、日本独自の文化として根づいていくまでには、紙が豊富に出回る江戸時代まで待たなければなりませんでした。
水引の起源をはじめとして、日本には古来から〝結ぶ〟ことに対する深い信仰がありました。おめでたい席に欠かせない「松竹梅」や「鶴亀」は中国の吉祥思想や蓬莱思想の影響を強く受けていますし、「花結び」や「結びきり」といった結び方・用い方の細かい約束事が残っているのも、私たち日本人が〝結ぶ〟ことにやはり特別な思いを持っているからにほかならないのです。
●飯田水引、事始め。
飯田水引の始まりは、元禄年間(1700年頃)のこと。当時の飯田領主堀侯が凍豆腐を将軍に献上する際、「クレナイ」の儀式に習って紅白の水引を輪結びにしたことに幕を開けます。
時代は流れても、手のぬくもりは生きている。
飯田は、水引作りに必要な条件をいくつも兼ね備えていました。冬でも暖かく雨の少ない温暖な気候であったこと、和紙の原料となる楮や三椏などが豊富だったこと、天竜川の清流や風越山から湧き出る清水など名水に恵まれていたこと。
そして街道の要所として東西の文化が行き交い、流通が盛んであったことなど、まさに水引の郷になるべくしてなったといっても過言ではありません。近来、水引そのものの製造はほとんど機械化されましたが、一つの製品・作品として細工する作業=結ぶ作業は、現在もすべて手で行われています。
祝儀専用のイメージが強かった水引も、最近では様々な用途に使われるようになりました。祝儀袋などは伝統的なものに加えて、おしゃれで遊び心のあるデザインのものに人気が集まっていたり、優れた技術を使った美術工芸品としての評価も高まっています。
この他、ファッションやデザイン分野での新しい可能性も期待され、飯田の水引の原点である〝結び〟の心と手のぬくもりは、大切に伝えていきたいと考えています。
【水引ミニ事典】
「結びきり」と「花結び」【お金包みのたたみ方】
上包みの上下の端は裏へ折り、慶事では下側の折り返しを上にして、弔事では下にして重ねます。慶事で下側の折り返しを上げるのは、運が上がるように、または晴れ晴れと目を上げて喜びをあらわすという意味です。弔事では上側を下げ、目を伏せて、悲しみをあらわす、と覚えます。間違えやすいので気をつけましょう。